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<江戸時代 1723〜1789 <安岐町>
本名は三浦 晋、幼名は辰次郎
梅園は、少年のとき空を見上げて、「いったいお日様とは何だろう。あんな高いところにいて、どうしてひとりで動いていくのだろう。また、どうして毎日決まりよく同じ道を通っていくのだろう。お月様も、お星様も・・・」と不思議に思っていました。
梅園は、どうしてもその不思議の原因を知りたくて自分の家にある本を手当たりしだいに読んだり、先生について学問をするために遠くまででかけたりしました。しかし、そのなぞはとけず、22歳のとき、長崎の出島に出かけ、西洋や中国の学問を学びました。それをもとにして、空を見上げながら自分で天球儀をつくりあげ、宇宙のなぞを解こうとしました。
そして、「宇宙の出来事すべては目に見えない力やある道筋によって動いている」と考えるようになり、本に書き上げました。「玄語」「贅語」「敢語」などの本に書き表しました(梅園三語)。 これらは条理学と呼ばれています。
梅園は高い地位や名誉などはのぞみませんでしたから、藩の学者になってくれと招かれてもことわりました。梅園の学問は、当時は認められませんでしたが、死後百年以上たった明治の終わりになって、人々に知られ、認められるようになり、その旧宅は国指定の文化財となっています。 |
安岐町の梅園旧宅
梅園三語、天球儀・顕微鏡・遺稿(いずれも国の重要指定文化財)が保存されています。
また、梅園自ら設計した寄せ棟茅葺きの住宅(国史跡)が残されています。
安岐町立三浦梅園資料館のとなりにあります。 |

梅園の作った天球儀 |
三浦梅園の旧宅 梅園旧宅(史跡)は、修復工事中のため立ち入っての見学はできません(2006年3月までに完成予定)。左の写真が工事前、右が工事中の様子です。 現在は屋根など修復されています。 |
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住 所:
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安岐町富清 |
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お問合せ:
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0978‐67‐0155(安岐町教育委員会) |
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アクセス:
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大分空港から車20分・安岐町からバス32分「梅園橋」下車徒歩5分 |
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駐 車 場:
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無料・30台(大型車可) |
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| 三浦梅園、帆足万里、広瀬淡窓の3人は、豊後の三賢人と呼ばれています。 |