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長曾我部信親の墓

内容

【所在地(住所)】
 大分県大分市上戸次
【内容】
  天正14年(1586)、薩摩は軍の豊後侵入(豊薩戦争)に際し、豊臣秀吉の命を受け四国から大友氏支援の軍勢が派遣されました。長曽我部信親はこの援軍の武将の一人として父長曽我部元親とともに豊後にやってきました。豊後・四国の連合軍は侵入してきた薩摩郡を戸次河原で迎え討ち、「戸次河原の合戦」を展開しましたが、軍略のまさった薩摩郡に破れて退却しました。この合戦で信親は元親とともに勇猛果敢な戦いを演じましたが、鈴木大膳に討たれて戦場の露に消えたといいます。遺骸は薩摩軍により手厚く葬られましたが、のちに元親は家臣と陣僧を派遣して遺骸を荼毘に付し、墓碑をつくったといいます。墓碑は現在も悲運の戦場となった戸次河原を眼下に望む嶺の大地上に鎮座しています。嶺の山崎の台に葬られた信親の墓、信親は180cmを超す大男で、約千名の部下を率いて勇敢に戦いましたが、戸次川の戦いで戦死しました。
【文化財の指定】 なし
【交通アクセス】

媒体写真
管理施設/お問い合わせ先 文化財課
大分市荷揚町2番31号
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