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守岡遺跡

内容

【所在地(住所)】
大分県大分市曲
【内容】
 大分川下流右岸の標高63mの台地に位置する遺跡です。この台地上には、横穴墓群、守岡古墳(円墳)や県指定史跡曲石仏附双塔(五輪塔)、磨崖連碑などがあり、また、守岡堡(もりおかとりで)(中世の山城)があった所といわれ(「豊後国志」ほか)、その遺構と思われる溝の一部が残っています。昭和50年・51年(1975~76)に森岡小学校新設に伴い発掘調査が実施され、弥生時代中期から終末、古墳時代初期、平安・鎌倉時代の複合遺跡であることがわかりました。竪穴住居跡は全体で49基、住居跡内側に溝をめぐらしたものもあります。住居跡中央には焼土跡が残っており、炉跡と考えられています。また弥生時代終末の住居案内からは舶載鏡(はくさいきょう)である昭明鏡片と獣帯鏡片が廃棄された状況で出土しました。また、古墳時代初期の住居跡内からは、200個を越える土器が廃棄状態で出土しており、土器は完形品の割合が高いのが特徴です。これらの土器の中には、関西地域の土器、山陰や岡山地域の土器が混じっており、地域間交流の豊かさを知ることが出来ます。弥生時代中期の貯蔵穴も77基発見されました。中世遺構については、掘立柱建物跡9棟の内、2間×6間(6.4m×11.64m)2棟、1間×3間(4m×7m)5棟が東西南北に配置されており、溝状遺構をふくめ館跡的な様相を示しています。また、さく、祭祀遺構、カマド跡、井戸跡などの遺構も確認されました。遺物は、土師器坏(はじきつき)、皿、灯明皿、や青白磁碗、備前系壺底部、明銭などもみられ、多くが室町時代末期に比定されますが、鎌倉時代の土師器もあるため、曲石仏との関連も考えられています。現在、運動場下に遺跡は保存されています。
【文化財の指定】なし
【交通アクセス】

媒体写真
管理施設/お問い合わせ先 文化財課
大分市荷揚町2番31号
TEL:097-534-6111  FAX:097-532-8102
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